2018年06月24日

特攻で沈没したアメリカ駆逐艦 海底での様子をCGで再現

太平洋戦争末期、戦況が不利になり追い込まれた日本は、航空機に爆弾を搭載し敵艦に突っ込むと言う「特攻」を行いました。
特攻機に体当たりされて沈んだ艦(フネ)の海底での詳細な様子を、3DのCGで再現することに成功したそうです。

ちょっと重いし、長めの記事です。
特攻に関心のある方はお読みくださいませ。

記事参照元 産経フォト 2018.06.22
沈没の米軍艦を3D再現 九州大など、沖縄戦

沈んでいるのは、アメリカ海軍の駆逐艦エモンズ(USS EMMONS)

USS_Emmons_(DD-457)_at_anchor_c1942.jpg


太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月6日。アメリカの空母機動部隊において、航空機攻撃などを警戒するレーダーピケット任務に従事。
このレーダーピケット任務は、艦隊の一番外側に位置し、日本機の攻撃を撃退するのが任務(対潜水艦哨戒任務も兼ねる時もあります)
それゆえ日本機の攻撃を一番受けやすい、とても危険な任務です。

この日、僚艦とともに特攻機の攻撃を受けたエモンズ。
5機同時に攻撃を受け、1機が艦尾に近い3番砲塔の喫水線付近に突入。
戦死60名と負傷者77名以上。艦長も戦死。
艦も被害が大きいため航行不能、修理不能と判断したアメリカ海軍の手で海没処分されました。
紹介したページにある写真には、その時にできたであろう破孔が見られます。

この艦が沈んでいるのが、沖縄県古宇利島の北方沖
島の位置はここ



2000年にこの海域で、時々油が浮いてきたことから発見に至ったとか
今はダイビングスポットとして有名なところだそうです。

沖縄のダイビングショップが、この艦のダイビングツアーを行っているそうです。
その中でこの駆逐艦エモンズについてや、海底での姿などを画像や動画を交えて、詳しく紹介しています。
記事は以下のリンクからご覧になれます。

https://www.owd.jp/top/ussemmons/

https://www.owd.jp/skill/omoshiroi/uss-emmons/

特筆すべきは
攻撃した機体の機種や所属部隊まで検証していること

突入した機体のエンジンとプロペラが、エモンズの艦尾付近に沈んでいて
旧日本陸軍の攻撃記録と、特徴的な2枚プロペラやエンジンから、旧日本陸軍の九八式直接協同偵察機と判明したそうです。

この攻撃は海軍と共同で敢行した「菊水1号作戦」の一環で(注・戦艦大和の出撃も含む)
出撃した九八式直接協同偵察機は、陸軍新田原飛行場(現・航空自衛隊新田原基地)から出撃した陸軍特攻誠第36・37・38飛行隊の26機。
中尉や少尉が指揮官となり、52名の搭乗員とともに出撃したとのこと。

旧日本陸軍の九八式直接協同偵察機と言うのが、こんな飛行機。
ウィキには「前線の地上部隊と緊密に協同しての偵察や観測および、要請があれば武装の機関銃や爆弾にて、地上攻撃(いわゆる近接航空支援)をも積極的に行う直接協同偵察機」と書いてます。

Tachikawa_Ki-36_98chokkyo.jpg

初飛行が1938(昭和13)年、主脚が翼の下に固定されたこの旧式な航空機。最高速度は約350km/h。
特攻の際には破壊力を持たせるために、500kg爆弾を積んだとか。
遅い飛行機がさらに鈍重になります。

1945年当時、アメリカ海軍の空母に積まれていた主力戦闘機がF6Fヘルキャット。大馬力エンジンを積んだ、高速・高機動の戦闘機。
その速度は610km/hオーバー。

50b735f6cb767.jpg

レーダーで管制された高性能の戦闘機が待ち構えてる空域に、重い爆弾を積んだ低速の旧式機で突入しなければならない
今では考えられない戦法ではないでしょうか。

沈んだエモンズの艦体近くに一緒に沈んでる、特攻機の九八式直接協同偵察機の画像が以下のページにあります。

http://www.cubex.jp/archives/2588

http://www.cubex.jp/archives/2580

特攻と言うと零戦と言うイメージがありませんか?
でも敗色濃厚なところまで追い込まれた日本軍は、こんな旧式で鈍重な航空機まで投入していました。
それは陸軍海軍問わずです。

成功の確率がほとんど無いような、こんな作戦を日本軍はやっていた。
私達は知っておくべきではないでしょうか。

※この記事で使われている画像については、撮影されたと思われる時期から70年以上が経過し著作権が消滅しているので、画像引用元は記してありません。

















posted by てっちゃん at 21:24| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月09日

大空襲のあった豊川海軍工廠に平和公園ができました

豊川市ではこの海軍工廠跡地の一部を整備、平和公園として造成。この悲劇を後世に語り継いでいくために、施設を作りボランティアも養成したそうです。

太平洋戦争時に艦艇に装備する機銃やその弾丸、照準器などを生産。その規模は日本一を超え、東洋一とまで言われた豊川海軍工廠。
愛知県豊川市にあるこの海軍工廠は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月7日にアメリカ軍の大空襲を受け壊滅、死者2500人以上負傷者も10000人以上と言う大きな被害が出ました。

この空襲を行ったのは、サイパン・グアム・テニアンから出撃したB-29爆撃機124機と護衛のP-51ムスタング戦闘機45機

B-29爆撃機がこれ
54c478165b457 (1).jpg
※画像引用元 https://ww2db.com/image.php?image_id=23342

P-51ムスタング戦闘機
air_mustang6.jpg
※画像引用元 https://ww2db.com/image.php?image_id=4809

たった30分の間に、500ポンド(250kg)爆弾3256発(約800トン)が投下された
2500人以上が死に、10000人以上が負傷
・・・と言いますが、どんな状況だったのか想像もつきません。

昭和20年当時50000人以上の人が働いていた、この工廠。
青年男子が戦地へと召集されていなくなる中、工場では多くの女性や女学生、そして12〜13歳の子供まで働いていたそうです。
犠牲者の中には、勤労動員された学生や女学生、国民学校高等科(12~13歳)も多く含まれていたとのこと。
※一説には空襲警報が出ているのに、退避指示が出ていなかったとの説もあります

豊川市では当時の火薬庫や信管置場などを整備、多くの人が亡くなった悲劇を当時の遺構と共に語り継いで行きます。
市の職員も「遺構とともに、当時のことを感じて欲しい」と期待しているそうです。

と同時に、市内の小学6年生の児童が毎年この豊川海軍工廠平和公園を訪れることが決まったとか。
地元紙の東愛知新聞では
地元の子供たちに戦争と平和について学ぶ機会が与えられる
と書いてます。
※記事参照元 東愛知新聞 6/5 豊川海軍工廠平和公園 市内6年生児童が毎年訪問へ


我が国周辺の安全保障環境が変わる今、過去に戦争によってもたらされた悲劇と平和について学ぶ機会が、子ども達に与えられるのは良いことですよね。
特に自分たちと同じ年ごろの子が、学校にも行けず工場で働かされていた事実も知ってもらうこと。そこにも大きな意義があると感じてます。

先の戦争に関するものを見せようとすると「キチガイ」じみた反対をする人もいる中、豊川市や豊川市議会では協力して計画を進めた様子。
自治体の英断に拍手を送りたいです
※記事参照元 豊川市議会議事録検索システム

ツィッターでは、早速出かけた人の感想も
犠牲になった女学生の遺書は涙を誘った
雰囲気がスゴイ
と言ったツィートが上がってます
※記事参照元
https://twitter.com/search?vertical=default&q=%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%B7%A5%E5%BB%A0%E5%85%AC%E5%9C%92&src=typd&lang=ja

愛知県のマスコミ各社も報道してるので、TBS系名古屋ローカルのCBCがYouTubeに上げてる動画をシェアしますね



最後、この豊川海軍工廠について豊川市がまとめた資料がいくつかあるのでリンクを貼ります
この記事も、これらの資料を参考にしました
※青太文字クリックで、該当ページが別タブで開きます

豊川市公式サイト 豊川海軍工廠について
※こちらでは公園についてはもちろん、火薬庫や信管置場についての解説もあり

豊川市観光協会 東洋一の兵器工場 豊川海軍工廠

また、こちらの史料は当時作っていた機銃弾などはもちろん、工具などの道具
働いていた方たちの給料袋や戦死通知と言ったものが、豊富な画像で紹介されています
こちらも必見(PDFファイル)

桜ヶ丘ミュージアム所蔵 豊川海軍工廠資料集

先の戦争のことが子ども達や若い世代に語り継がれるのは、とても良いこと
私達大人も学びなおすことが必要ではないでしょうか















posted by てっちゃん at 19:27| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月05日

今日はミッドウェー海戦から76年 こんな事実があったとは知らなかった

運命の5分間なんて「真っ赤なウソ」・・・え?あの戦記でも、最近の映画でも描かれていた「あのシーン」、あれは事実じゃない。

NPO法人「零戦の会」の会長を務め、ジャーナリストでもある神立尚紀氏。
氏が実際に現場で戦った搭乗員たちに取材し書いた記事がありました。

甲板上には発艦直前で爆弾や魚雷を積んだ艦載機がいっぱい、そこにアメリカ軍のドーントレス爆撃機が爆弾投下。
映画やドラマで見る、あのシーン。
その時、実は飛行甲板には・・・。

またアメリカ機動部隊の発見を、南雲艦隊に伝えた重巡利根から発進した索敵機。
「発進の遅れが、敵発見の遅れにつながった」とか「らしきものを見ゆ・・・が南雲艦隊司令部の判断を鈍らせた」
それも違う。実は利根の索敵機は殊勲もの。事実はこう。

巷に流れてる定説は、実際に戦った者が体験したこととズレがある

筆者はそれを
ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた大嘘
と厳しい言葉で批判してます。

私が小学校から中学へ上がるころ、テレビで太平洋戦争の記録映画を放送してました。
おそらくはアメリカ軍が撮影したもの、祖父が旧海軍で戦艦に乗っていたこともあって、毎回見ていた私。

それと旧海軍の戦記も何冊か読んだことがあって、ミッドウェー海戦関係なら淵田・奥宮両氏が書いたあの本も読んだことがあります。
正直・・・こんなに違うの?と驚き。

平和を望むなら、戦争でどんなことがあったのか
それを知ることも必要ではないでしょうか。
私も50を過ぎ、もう一度見直してみようかと思います。

あちら界隈の人達、すぐに「戦争がー」とか「戦争賛美だー」とか言います。
正直「むっちゃ腹が立つ」
でも今の私・・・それに反論できるだけの知識の裏付けを持っていません。悔しい。


記事はこちら
※赤太文字クリックで、該当記事が別タブで開きます。

76年前の今日、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた大嘘

搭乗員たちが語り残した真実とは?



画像は炎上する空母飛龍。
最初の爆撃では難を逃れ、艦載機はアメリカ空母ヨークタウンを大破するまで追い込みました。
(※最後は日本潜水艦 伊168の雷撃で沈没。)

しかし飛龍自身も敵機の攻撃を受け、4発の爆弾が命中。
炎上した後、味方駆逐艦の雷撃により処分(ただし沈没の瞬間は見届けられていない)

画像、艦橋の前に全部エレベーターが突き刺さってます。

ship_hiryu5.jpg
※画像引用元 https://ww2db.com/image.php?image_id=1360




このカテゴリーでは先の大戦について、ネットで上がった記事やテレビニュースなどをアップしていく予定です。


posted by てっちゃん at 19:48| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする