2019年10月27日

旧日本海軍重巡洋艦「鳥海」フィリピン レイテ島沖で発見される

故ポール・アレン氏の探索チームが、またもや発見したとのこと。
旧日本海軍艦艇に限らずアメリカ海軍艦艇も次々と探し出している、このチーム。

ミッドウェーで「赤城」や「加賀」を見つけてから、1週間も経っていません。
しかも3000q近く離れた海域に移動しての発見
何が彼らをそこまでさせるのか知りたい、とも思います。

「鳥海」と言う重巡洋艦が、この艦(フネ)

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※画像引用元 ウィキペディア

水深5173mの海底で眠る「鳥海」の姿
13分ほどの動画の中では、艦体はもちろん艦橋や20cm主砲も見てとれます



この近くには日本艦隊に砲撃され沈んだ、アメリカ海軍の護衛空母「ガンビア・ベイ」やアメリカ駆逐艦数隻もいるので
これらの艦艇を探し出す中で見つけたのかも知れません

おおよその沈没位置がこのあたり
すぐ近くには水深が9000m以上の海溝もあります



以下は、この重巡洋艦「鳥海」について

艦名は秋田県と山形県にまたがる鳥海山を由来としたもの
就役は1932(昭和7)年

全長203mは現在海上自衛隊で活躍しているミサイル護衛艦「ちょうかい」の161mよりも一回り大きいことになります
私イージス艦って見たこと無いから、どんだけ大きい艦(フネ)なんだろうと思う

太平洋戦争開戦時は、マレー半島方面での作戦に従事。
ミッドウェー海戦は「赤城」や「加賀」とは違う部隊で、後方に展開
ガダルカナル方面で活動した後は、マリアナ沖海戦に参加

レイテ沖海戦に参加し、「武蔵」が沈められたシブヤン海戦の後アメリカ機動部隊と交戦した、サマール沖海戦で沈没。
1944(昭和19)年10月25日のこの海戦で損傷し、警戒駆逐艦とともに戦場を離れたもののその後の経緯は不明。
損傷した経緯も敵空母艦載機によるものとか、味方の戦艦「金剛」からの誤射によるものとも言われているし
沈没した経緯も味方駆逐艦に雷撃処分されたとの説もあり、はっきりしたことはわからないそうです。

乗員を救助し戦場を離脱した駆逐艦「藤波」は、、翌26日アメリカ海軍機により撃沈
2艦の乗組員全員が戦死しているので、詳細は不明。
定員は「鳥海」には7〜800名、「藤波」には250名ほど。合わせて1000人以上が戦死していることになります。
数ではありませんが。

駆逐艦「藤波」
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今の時代は、ミサイル護衛艦「ちょうかい」が名前を受け継ぎ3代目として活躍中です。

真っ暗な深海に沈んでいる「鳥海」の姿、どう受け止めるといいんだろう。
なんて思ったりします。














posted by てっちゃん at 09:00| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月21日

旧日本海軍の空母「加賀」が見つかったミッドウェイ海域 今度は空母「赤城」を発見

多くの将兵が戦死したミッドウェイ海戦。沈んだ艦は墓なんじゃないか、そう思うとこの発見の意義は何だろう。
私は死んだ将兵に思いを寄せるのとともに、戦争について考える機会でもあるのかな、なんて思ってます。

先日の「加賀」から30kmほどの地点で見つかった沈船が、空母「赤城」と判明したそうです。
ミッドウェイ海戦で沈んだ、日本空母4隻のうち2隻が見つかったことになります。



健在だった頃の赤城

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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%3AAkagi_2.jpg

空母「赤城」は他の3隻の空母と共に、南雲忠一中将率いる第一航空艦隊の旗艦として出撃。
急降下爆撃機から2ないし3発の命中弾を受け、格納庫内にあった魚雷や爆弾に誘爆。
最後は味方駆逐艦の魚雷で処分。戦死者は200名あまり・・・と記録されてます。
※艦隊の戦闘詳報と各艦の記録、将兵の記憶でさまざまです

ただミッドウェイ島を攻略後に駐屯する兵士などが便乗していて、実際の数は不明との事。

「赤城」を見つけた故ポール・アレン氏のチームは、これで一度現場海域を離脱。
次はアメリカ艦艇を優先的に探索する計画だと、Facebookでは書いてあります。



posted by てっちゃん at 19:15| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月18日

ミッドウェー海戦で撃沈された空母「加賀」 故ポールアレン氏のチームが発見する

沈んだのは1942年6月5日。ミッドウェー海戦で沈んだ4隻の空母のうち一番最初に沈没したのが、この「加賀」。
一番多くの爆弾を受け、一番多くの戦死者を出し、一番最初に沈んでます。

元は戦艦として建造されたものの軍縮条約のため空母に生まれ変わり、1928年に完成。
当初は3段式の変わった飛行甲板を持つ空母でした。

ship_kaga13.jpg
https://ww2db.com/image.php?image_id=11645

これではいろいろ不都合があったようで、1934年から大改装。
その後の姿がこちら

ship_kaga3.jpg

https://ww2db.com/image.php?image_id=1509

おおよその沈没地点 日本から東へ約3800kmの太平洋
水深は約5400mの地点



加賀はアメリカの空母エンタープライズ所属のSBDドーントレス急降下爆撃機の爆撃を受け
4発あるいは5発以上の1000ポンド爆弾が命中

Douglas_SBD-5_in_flight_colour.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/SBD_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

艦橋は吹き飛ばされ、艦長以下艦の主要幹部はほとんど戦死
飛行甲板にあった爆弾や魚雷、航空機の燃料に引火、誘爆が起き艦の構造物がほとんど破壊され
最後には大爆発を起こし沈没・・・とあります
※第1航空艦隊戦闘詳報など諸説あり

戦死者約800名
艦底近くで配置につく機関科の兵隊が一番多かったもよう
艦内での誘爆、火災で脱出ができなかったといろんな本では書かれてます

戦闘機やその他航空機搭乗員も多くが戦死
特に戦闘機はただ1隻残った空母飛龍での戦闘で、やはりほとんどが戦死

澤地久枝氏の『滄海(うみ)よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死』では、艦橋で戦死した岡田次作艦長(当時大佐、戦死後少将へ昇進)の夫人
のその後の生涯が描かれてましたので、こちらを読んでみるのも良いでしょう。

海底での加賀の姿を捉えたのが、以下の画像や動画
探査船RVペトレルの公式フェイスブックから引用






艦これも良いけど、こう言った歴史があったこと
今一度考えてみませんか


ちょっと違う視点だけど
ミッドウェー海戦を零戦搭乗員の目線で捉えた記事がありました
筆者はNPO法人零戦の会会長をつとめ、ノンフィクション作家でもある神立尚紀氏

あの「魔の5分間」は真っ赤なウソ
戦後上層部は保身に走った、と書いてます

記事はこちら

76年前の今日、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた大嘘
搭乗員たちが語り残した真実とは?

















ラベル:日本海軍
posted by てっちゃん at 20:56| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

終戦後も空戦があったこと 若い将兵が死んだこと 知っておいて欲しい

太平洋戦争終結後もなお連合国機が襲来し、それを迎え撃つべく出撃した搭乗員がいたこと。
空戦で敵味方双方に戦死者が出たこと。
この記事を読んで初めて知りました。

NPO法人零戦の会で会長を務める神立尚紀氏が、1年前に書いた記事を今また読んで欲しいとツィートされていたのでシェアしたいと思います。

記事中に出てくる旧日本海軍機の画像です

零戦52型

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紫電改

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雷電(零戦を設計した堀越二郎が設計の中心)

Mitsubishi_J2M.jpg

当時これらの戦闘機で実際に戦った搭乗員たちにインタビューして書かれた記事です。
ツィート内のリンクからご覧いただけます。ぜひご一読を。









posted by てっちゃん at 20:23| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月25日

スピットファイアが小牧に来るぞ!

第2次世界大戦のイギリスの名機「スピットファイア」が、県営名古屋空港に来ます。

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※画像引用元 https://ww2db.com/image.php?image_id=4758

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※画像引用元 https://ww2db.com/image.php?image_id=4754

飛来日は9/25。龍ケ崎飛行場から鹿児島空港へので移動の途中に寄る模様。
天候次第でしょうが、その日のうちに鹿児島空港へと飛び立つようですね。
※FlyTeam 2019.07.23 シルバースピットファイア、来日日程とルートを変更 龍ケ崎と小牧へ

これ見に行かなかったら、一生悔いが残るぜ
みんな、行こーよ


posted by てっちゃん at 00:58| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする