2019年10月18日

ミッドウェー海戦で撃沈された空母「加賀」 故ポールアレン氏のチームが発見する

沈んだのは1942年6月5日。ミッドウェー海戦で沈んだ4隻の空母のうち一番最初に沈没したのが、この「加賀」。
一番多くの爆弾を受け、一番多くの戦死者を出し、一番最初に沈んでます。

元は戦艦として建造されたものの軍縮条約のため空母に生まれ変わり、1928年に完成。
当初は3段式の変わった飛行甲板を持つ空母でした。

ship_kaga13.jpg
https://ww2db.com/image.php?image_id=11645

これではいろいろ不都合があったようで、1934年から大改装。
その後の姿がこちら

ship_kaga3.jpg

https://ww2db.com/image.php?image_id=1509

おおよその沈没地点 日本から東へ約3800kmの太平洋
水深は約5400mの地点



加賀はアメリカの空母エンタープライズ所属のSBDドーントレス急降下爆撃機の爆撃を受け
4発あるいは5発以上の1000ポンド爆弾が命中

Douglas_SBD-5_in_flight_colour.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/SBD_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

艦橋は吹き飛ばされ、艦長以下艦の主要幹部はほとんど戦死
飛行甲板にあった爆弾や魚雷、航空機の燃料に引火、誘爆が起き艦の構造物がほとんど破壊され
最後には大爆発を起こし沈没・・・とあります
※第1航空艦隊戦闘詳報など諸説あり

戦死者約800名
艦底近くで配置につく機関科の兵隊が一番多かったもよう
艦内での誘爆、火災で脱出ができなかったといろんな本では書かれてます

戦闘機やその他航空機搭乗員も多くが戦死
特に戦闘機はただ1隻残った空母飛龍での戦闘で、やはりほとんどが戦死

澤地久枝氏の『滄海(うみ)よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死』では、艦橋で戦死した岡田次作艦長(当時大佐、戦死後少将へ昇進)の夫人
のその後の生涯が描かれてましたので、こちらを読んでみるのも良いでしょう。

海底での加賀の姿を捉えたのが、以下の画像や動画
探査船RVペトレルの公式フェイスブックから引用






艦これも良いけど、こう言った歴史があったこと
今一度考えてみませんか


ちょっと違う視点だけど
ミッドウェー海戦を零戦搭乗員の目線で捉えた記事がありました
筆者はNPO法人零戦の会会長をつとめ、ノンフィクション作家でもある神立尚紀氏

あの「魔の5分間」は真っ赤なウソ
戦後上層部は保身に走った、と書いてます

記事はこちら

76年前の今日、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた大嘘
搭乗員たちが語り残した真実とは?

















ラベル:日本海軍
posted by てっちゃん at 20:56| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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