2019年07月02日

旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶(まや)」 フィリピン沖の海底で発見

戦艦「武蔵」や「比叡」、空母「ホーネット」などを見つけた、故ポールアレン氏のチームがフィリピン・パラワン島の西方約50Km沖で発見したそうです。

1930年代の絵葉書での「摩耶」

Heavy_Cruiser_Maya.jpg

1943年撮影
愛宕型重巡の特徴ある艦橋がよくわかるショット

ship_maya1.jpg

※画像引用元 https://ww2db.com/photo.php?source=all&color=all&list=search&foreigntype=S&foreigntype_id=44

沈没地点はこのあたり
フィリピン・パラワン島の西方、約50km付近
※google map



無人探査機が水深約1850mの海底で捉えた「摩耶」の姿を、NHKニュースが動画付で報じてます。
戦闘海域に入る前に潜水艦の雷撃で沈んだため、艦橋などの上部構造物は比較的きれいな状態で残っているようです。



「摩耶」は1944年10月22日、フィリピン沖のアメリカ艦隊を迎え撃つべく、栗田中将率いる第2艦隊の一員として出撃。
翌23日午前6時半過ぎにアメリカ潜水艦の襲撃を受け、第2艦隊旗艦「愛宕」、僚艦「高雄」に続き被雷。
魚雷4発が命中。左舷に大傾斜しわずか8分で沈没したそうです。

乗員約1100名のうち、この雷撃で艦長以下330名が戦死。
機関長も戦死していることから、艦底部の配置が多い機関科の兵士は逃げる時間も無く沈んだのではないでしょうか。

残り770名は駆逐艦に救助され、後に戦艦「武蔵」に移乗。
しかし、その武蔵も撃沈され、武蔵沈没後に移乗した駆逐艦での戦闘でも死者が。
最終的な戦死者は約440名。生存者は後に重巡「利根」で帰国したとのこと。

私の祖父さんは旧海軍で戦艦「比叡」に乗っていて、サボ島沖の第3次ソロモン海戦を生き残った人。
祖父さんがどの艦(フネ)に助けられて帰ってきたのかと言う話とか聞いたことが無かったから
生存者がどうやって故国に帰ってきたのか、興味あります。

「摩耶」が撃沈された時に乗り組んでいた方、まだご存命の方もいるかも知れません。
この発見の報、どのように思われたでしょうか。

艦(フネ)は墓標だから、そっとしておくべき。と言う方もいると思います。
逆に戦争を後世に伝えていくうえで、沈船の発掘は必要。と言う方もいるでしょう。

どちらもその通り。
戦死された方や家族に思いを寄せると共に、今一度戦争の悲惨さを考えてみては?
故ポール・アレン氏はそう言っているのかも知れません。

海底に眠る「摩耶」の姿、こちらの記事ではNHKニュースには無い画像もあります。
興味のある方はどうぞ
※青太文字クリックで該当記事が別タブで開きます

ねとらぼ 2019.07.02 重巡「摩耶」発見 その城郭のように巨大な艦橋に迫る



















posted by てっちゃん at 21:25| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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