2018年06月09日

大空襲のあった豊川海軍工廠に平和公園ができました

豊川市ではこの海軍工廠跡地の一部を整備、平和公園として造成。この悲劇を後世に語り継いでいくために、施設を作りボランティアも養成したそうです。

太平洋戦争時に艦艇に装備する機銃やその弾丸、照準器などを生産。その規模は日本一を超え、東洋一とまで言われた豊川海軍工廠。
愛知県豊川市にあるこの海軍工廠は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月7日にアメリカ軍の大空襲を受け壊滅、死者2500人以上負傷者も10000人以上と言う大きな被害が出ました。

この空襲を行ったのは、サイパン・グアム・テニアンから出撃したB-29爆撃機124機と護衛のP-51ムスタング戦闘機45機

B-29爆撃機がこれ
54c478165b457 (1).jpg
※画像引用元 https://ww2db.com/image.php?image_id=23342

P-51ムスタング戦闘機
air_mustang6.jpg
※画像引用元 https://ww2db.com/image.php?image_id=4809

たった30分の間に、500ポンド(250kg)爆弾3256発(約800トン)が投下された
2500人以上が死に、10000人以上が負傷
・・・と言いますが、どんな状況だったのか想像もつきません。

昭和20年当時50000人以上の人が働いていた、この工廠。
青年男子が戦地へと召集されていなくなる中、工場では多くの女性や女学生、そして12〜13歳の子供まで働いていたそうです。
犠牲者の中には、勤労動員された学生や女学生、国民学校高等科(12~13歳)も多く含まれていたとのこと。
※一説には空襲警報が出ているのに、退避指示が出ていなかったとの説もあります

豊川市では当時の火薬庫や信管置場などを整備、多くの人が亡くなった悲劇を当時の遺構と共に語り継いで行きます。
市の職員も「遺構とともに、当時のことを感じて欲しい」と期待しているそうです。

と同時に、市内の小学6年生の児童が毎年この豊川海軍工廠平和公園を訪れることが決まったとか。
地元紙の東愛知新聞では
地元の子供たちに戦争と平和について学ぶ機会が与えられる
と書いてます。
※記事参照元 東愛知新聞 6/5 豊川海軍工廠平和公園 市内6年生児童が毎年訪問へ


我が国周辺の安全保障環境が変わる今、過去に戦争によってもたらされた悲劇と平和について学ぶ機会が、子ども達に与えられるのは良いことですよね。
特に自分たちと同じ年ごろの子が、学校にも行けず工場で働かされていた事実も知ってもらうこと。そこにも大きな意義があると感じてます。

先の戦争に関するものを見せようとすると「キチガイ」じみた反対をする人もいる中、豊川市や豊川市議会では協力して計画を進めた様子。
自治体の英断に拍手を送りたいです
※記事参照元 豊川市議会議事録検索システム

ツィッターでは、早速出かけた人の感想も
犠牲になった女学生の遺書は涙を誘った
雰囲気がスゴイ
と言ったツィートが上がってます
※記事参照元
https://twitter.com/search?vertical=default&q=%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%B7%A5%E5%BB%A0%E5%85%AC%E5%9C%92&src=typd&lang=ja

愛知県のマスコミ各社も報道してるので、TBS系名古屋ローカルのCBCがYouTubeに上げてる動画をシェアしますね



最後、この豊川海軍工廠について豊川市がまとめた資料がいくつかあるのでリンクを貼ります
この記事も、これらの資料を参考にしました
※青太文字クリックで、該当ページが別タブで開きます

豊川市公式サイト 豊川海軍工廠について
※こちらでは公園についてはもちろん、火薬庫や信管置場についての解説もあり

豊川市観光協会 東洋一の兵器工場 豊川海軍工廠

また、こちらの史料は当時作っていた機銃弾などはもちろん、工具などの道具
働いていた方たちの給料袋や戦死通知と言ったものが、豊富な画像で紹介されています
こちらも必見(PDFファイル)

桜ヶ丘ミュージアム所蔵 豊川海軍工廠資料集

先の戦争のことが子ども達や若い世代に語り継がれるのは、とても良いこと
私達大人も学びなおすことが必要ではないでしょうか















posted by てっちゃん at 19:27| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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