2018年06月30日

「元自衛隊なら銃には慣れてるだろ」と言う先入観に異論を唱えたい

元自衛官が起こした富山での交番・小学校襲撃事件、「自衛隊にいたから銃には慣れている」的な報道にはある意味、マスコミの自衛隊に対する悪意すら見えますね。

銃に慣れると言うことでは、別に自衛隊にこだわる必要なんてないわけです。
誰もが気軽に海外へ出かけることができる今、近いところならお隣の韓国にだって射撃が体験できるスポットがあります。
そこに行ってお金を払いさえすれば「いくらでも」撃って来れる、今はそんな時代ですから。

確かに「全く銃を扱ったことがない」ド素人に比べれば、銃に「慣れてる」と言う表現もあり得ます。
銃の経験があると言うことを、自衛隊の印象を悪くしたい方向に利用したいと言うのが見え隠れする。
そんな悪意を感じる、「元自衛官」です。

自衛隊での射撃経験について、一般論ですが私が知ってる限りを書きます。
陸海空、職種によっては例外もあるので「一般論」としてです。

まず私。空で1任期3年いまして、2士で入り士長で退職。
教育隊で陸自の射撃場に行って、64式で訓練
40発だったかを撃った、これ1回「だけ」

※航空団では年に1回、射撃訓練があります。曹・士だと40人いた小隊から1人か2人だけが小銃を撃つ機会が与えられ
 拳銃の訓練は1尉とかから上だった記憶

陸にいた兄弟は、高射特科に3任期いて小銃の訓練を何回か
同じく陸で30年近く勤め、准尉で退官した親父。連隊本部と言う部署柄、これまた何回かだけだったそう。


富山の地元メディアのニュースは、小銃も拳銃もごっちゃになったひどい記事を配信してます。

同期生の新証言 射撃技能 自衛隊で身につけたか/富山

この記事中、犯人は陸自に1任期2年いて、現職時代は迫撃砲中隊に所属していたと書かれています。
迫撃砲中隊にいた2年間で、どれだけ射撃経験が積めるんだ?と言うのが、正直なところ

私は空にいた3年間で小銃を撃ったことがある、と書きました
実は20年前に新婚旅行で行ったオーストラリア・ケアンズで、射撃体験をしてまして。
何種類かの拳銃を、オプションも含めトータルしたら80発くらい撃ってるんですね。

パンフレットがこれ
日本の旅行会社では「あまりお勧めしないけど」と言いつつ、カウンターにあったチラシ

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「チョベリグ」と言う、怪しげな日本語を使うオッサンに連れて行かれた記憶がよみがえる(笑)
値段表がこれ
○○shootsと言う、弾数にも注目

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マグナムを片手で撃ったら、あまりの衝撃に弾があさっての方へと行った私

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自衛隊とは全く関係ない、ウチの嫁さんも射撃体験
この笑顔に、自分に対する殺意を感じるぞ(笑)

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オーストラリアに行った20年前より、今や格段に海外へ行きやすくなりました
どの国のどこでどんな射撃体験ができるか、ネットで簡単に情報を得ることが出来る時代
自衛隊員や警察のような職業でなくても、手軽に銃を撃つことができるようになりました

自衛官だから銃に慣れているだろう、なんてことはないし
自衛官でなくても、銃を撃つことができる

そこのところも考えて、記事を書いてほしい
嫁にも突っ込まれた、元自衛隊の私でした。




















posted by てっちゃん at 18:14| Comment(0) | マスコミの偏向報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富山で起きた交番襲撃と警備員殺害事件でのマスコミの取材が酷過ぎる件 その@

この事件の報道で感じたことを2つ、記事にします。
ひとつ目は、人の心に土足で踏み込む「超絶クズなマスゴミ」について

亡くなられた被害者の人となりなんて知りたいとは、毛頭思わない。
愛する家族を理不尽に失ったご遺族の声、それを聞きたいとも毛頭思わない。
この2つ、親族でも何でもない人にとってニーズありますか?

記者さん皆が「こんなクズ」とも、毛頭思わないけど
相変わらず「ヒドイ」ね。

名古屋の繁華街・栄のネカフェでキチガイが起こした殺人事件
被害者の奥様は「マスコミ向けに」コメントを出さざるを得ない状況に追い込まれた。
それを「わざとらしい」「悲痛な表情」で読み上げるテレビ

新幹線で起きた無差別殺人で、あのクソガキに立ち向かい殺された男性
奥様や親族の方からのコメントは出ていないけど、どうせ「クズ」どもが追い回したことは想像に難くない。




何かあると「人に寄り添ってー」と言うくせに
自分たちがやってることは何なんだ?




そして
富山の犯人は「元自衛官」。
お決まりの「元自衛隊」バッシングが始まった。

自衛隊にいたから、銃には慣れてる
この先入観だけで書いてる記事が「ホント」多いのには閉口

関連するツィートで、これは同感と言うのをいくつか紹介します

ジャーナリストの桜林美佐氏
犯人は迫撃砲中隊にいた、と言う新しい情報入り
リンク先の記事も合わせてどうぞ




軍事アナリストの重鎮である小川和久氏
元自衛隊と言うことをこの事件を「結び付けたい」と、深い言葉




元自衛官である方も、こんなツィートを







次は「元自衛隊だから銃には慣れてる」について
私なりに反論と言うか、異論を唱えたいと思います

















posted by てっちゃん at 13:26| Comment(0) | マスコミの偏向報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あいち航空ミュージアムにて 週末限定イベントやります

飛行機を助け空港を機能させるために、こんな車たちも働いているんだよー・・・と言うイベントを、今日6/30(土)と明日7/1(日)も2日間限定で行います。

医療搬送車やら電波測定車、普段は目にすることができない車を見ることができる、貴重な機会です。
これは医療搬送車。

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※画像引用元 あいち航空ミュージアム イベントページ

詳細等については、以下のページをご覧ください



この機会にぜひ、あいち航空ミュージアムにお出かけくださいませ。。

また明日7/1からは、ボランティアスタッフによるガイドツアーも開始。
※先日の様子

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ミュージアムの見どころや展示機のうんちくなどなど、わかりやすくガイドします。
こちらも乞うご期待(^O^)/

posted by てっちゃん at 11:57| Comment(0) | あいち航空ミュージアム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

熊本県錦町にできる戦争資料館 まるで遊園地だと反発の声

この記事を読む限りですが「もう少しお互いが歩み寄れないかなぁ」と感じます。
でも、若い世代や子供たちにはこう言ったアプローチも必要なんじゃないか、とも思います。

記事はこちら

戦争資料館「まるで遊園地」=平和目的記載なく、市民反発−人吉基地跡地・熊本

記事から見受けるに市民団体側としては
@このミュージアムの設置目的に「平和目的」と言う記載がない
A「山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム」と言う名称が、子ども相手の遊園地を連想させる
と言う所に反感を持っている様子です

逆に町側としては
@平和と観光の両方を目的とする施設に
A多くの人に来てもらわないことには、戦争を伝えることはできない
と言う考え

私としては、どちらの言い分もわかります
このご時世「平和がー」と大上段に構えていては、若い世代や子供たちは敬遠してしまう風潮があるのも確か
町側としてはハードルを下げたい意図もあるようです

さてここ熊本県錦町、戦時末期の1943(昭和18)年に旧海軍の人吉海軍航空隊基地が建設されました
ここでは搭乗員の養成はもちろん、整備兵の訓練も行われたそうです

珍しいところでは、トンネルを使った工場や弾薬庫、司令部や兵舎などもあったとか
この貴重な戦争遺構もアピールしていきたいようで、どんな展示がされるかも興味深いです。

以下に、この基地の歴史について書かれたページのリンクを貼ります
※資料館の公式サイトです

人吉球磨は秘密基地 人吉海軍航空隊の歴史

この基地では、通称「赤とんぼ」と言う初等練習機で搭乗員を養成していました。

やがて太平洋戦争末期の1945(昭和20)年。
搭乗員養成に使われていた、この「赤とんぼ」までもが特攻に駆り出されるようになりました
しかし最大速度は210q/h、爆弾と燃料を積んだら重くてフラフラだったようです。
※特攻ではアメリカ駆逐艦を撃沈した記録があります

制式名称が九三式中間練習機。元々操縦性が優れていたとかで、戦争中期には初等練習機として使われるように。
今の航空自衛隊ならT-7と言ったところでしょうか。

戦時中の様子がYouTubeにありました
最初の方は水上機型に改造された機体が映ってますが、3分20秒くらいから陸上機型が出てきます



この資料館の公式サイト
実際に戦争を体験した方が見たら、怒ってしまうかも知れません。
その気持ちもわからないではありません。

でも、若い世代や子供たちにはこう言ったアプローチも必要なんじゃないか
私はそう感じています

皆さんはどう思われますか?











posted by てっちゃん at 20:34| Comment(0) | 第2次世界大戦や太平洋戦争のお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月25日

あいち航空ミュージアムに寄贈された零戦のタイヤを見てきました

名古屋市緑区にお住まいの方が寄贈された、との事。太平洋戦争が終わって70年以上、持ち主の方がどんな形で零戦に関わっていたか、どんな思いを持っていたのか、出来ることならお話しを聞きたいですね。



ボランティアの合間に撮影
寄贈された・・・とか何か表示をするのかな?

あいち航空ミュージアム 零戦 タイヤ IMG_0559

零戦の主脚周りも撮ってきたのでアップ
機体前方に付いてます

あいち航空ミュージアム 零戦52型甲 IMG_0565

主脚の格納スペースがこんな感じ

あいち航空ミュージアム 零戦52型甲 IMG_0562

もうちょっとアップで
今の飛行機と比べるとシンプルな構造に見えます

あいち航空ミュージアム 零戦52型甲 主脚 IMG_0563

あいち航空ミュージアム 零戦52型甲 主脚 IMG_0564

三菱重工小牧南工場の史料室で見つけた図面の写真がありました

名古屋航空宇宙システム製作所史料室 展示資料 IMG_5273


零戦が開発されたころ、翼の下に主脚を固定していたのが、日本では主流でした
真珠湾攻撃にも参加した九七式艦上攻撃機に次いで、引き込み式を2番目に採用したのが零戦。

後で紹介するドキュメンタリーの動画では、緩衝装置は油圧と空気圧を利用し、折りたたみ機構は油圧を使っていたとか
三菱重工小牧南工場の史料室で、脚の折りたたみ機構を再現した装置を再現したものがあったようです
この史料室行ったことあるけど、記憶がない・・・

動画がこちら
15分弱の動画、8分45秒過ぎから主脚、その後で尾輪の解説もあります
三菱重工小牧南工場の史料室での再現の様子も入ってます
































posted by てっちゃん at 20:50| Comment(0) | あいち航空ミュージアム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする